数えて見よ主の恵み

  イエス様が私を今日まで、どんなに深く愛し守って、生かしていて下さつたか、また希望と平安を与えて下さったか、ほんの一部ですがお話させていただきます。1歳半の時小児麻輝にかかり歩けなくなった私を、両親は毎日毎日心配し苦労し育てたことでしょう。そして、その時はイエス様の恵みの中で生きる、今の私を想像することができなかったと思います。
 5年生の時、祖父と聞いたラジオの福音放送を通し、イエス様に出会いました。毎週楽しみに聞き、私もお話に出てくる人のような生き方をしたい、変わりたいと思うようになりました。でも外に出るのが嫌いな私は、教会を尋ね、洗礼を受けるまでに11年もかかりました。この間、主は忍耐を持って私の心を育て、実生活に於いても不思議な事をして下さいました。それは両松葉杖をつかないと歩けない私が、自転車に乗れるようになったのです。自力で中学、高校、洋裁学校に通い、洋裁学校の教師として勤めに行けるように、道を整えて下さったのですね。20歳の時には補装具により、松葉杖無しで歩けるようになりました。少しづつ外に目を向け、積極的な生き方に変えられ始めたのです。
 ☆聖歌604番は私の愛唱歌です。ここには何度も数えてみよ主の恵みとありますね。人生の中の大きな恵みを少しお話いたします。
 私は能勢川で洗礼を受けました。水の中では補装具をつかえません。その時、歩けない私を背負って助けてくれた青年が主人です。健常な女性と結婚すれば受けなくて済む辱めや苦労をあえて負い、人生を一緒に歩いてくれています。先月結婚30年でした。主の導きがなければできない結婚です。
 ☆数年前小学校の同窓会が宝塚ホテルでありました。学校生活で一番好きなクラスで、思い出の一つにこんな事があります。少ししか歩けない私は遠足に行った事がありません。その私を先生と級友が計画を立て修学旅行に連れて行ってくれたのです。そんな暖かい級友達が、ホテルの玄関で私を待っていてくれました。車を運転してきた私をみて"あっ"と驚きの声。"よかったね、すごい!"と喜びの声。私自身、車を運転できるようになるとは夢にも思ってなかったことですもの。主のなさる事は素晴らしいですね。私の第二の足として大いに助かっています。
 ☆娘の事をお話しいたします。元気で生まれた娘が3歳の時の事故が元で、だんだん障害が重くなり、今では重度の知的障害です。食事も排泄もお風呂も身の回リー切介助が必要です。情緒不安定で、夜寝ない日が続く事もあります。好きな事は紙をちぎる事で、家中桜の花吹雪のようにばらまいています。家業の鉄工所の仕事を終え、一服する間も無しに散らかった部屋の掃除です。「主よ何故ですか?私はもう限界です。耐えられません。」と主に訴える日も度々あります。そんな時604番の2節が浮かんでくるのです"主のたまいし十字架を担いきれず沈むとき数えてみよ主のめぐみ、呟きなどいかであらん"と。私が疲れ果てた時、必ず助けてくれる多くの友があります。暖かく優しさに満ちた、心の栄養のビタミン愛が、一杯入った食事会に呼んで下さったり、娘の世話をして私に休養を下さったり、慰めに満ちたお便り等。主はいつも私を見ておられ、適切な助人を送って下さっていたのです。この重荷を主も共に負って下さっているのです。
 娘の事を通し多くの訓練を受け学びます。イエス様が手本を示して下さった仕える事と、忍耐、それに何かが出来るとか、頭がいいとかいうものよりもっと深い命の価値観です。家族が娘の面倒を見れなくなった時のことが、気になります。でも主の約束に慰められます。それはこの世の旅路を終えた時、必ず天国に行けるという希望です。この希望が毎日の辛くて苦しい戦いの時、私の力となり、プラス思考に変えてくれるのです。主にお会い出来る日を楽しみにしています。ですから、この地に生かされている間信仰の創始者であり、完成者であるイエス様から目を離さず、ゴ‐ル目指し歩み続けたいと願っています。聖書の中でイエス様は「私に何をして欲しいのか」とおっしゃっていますが、両親、弟、妹、二人の子供の救い等、数えきれない程、祈りに答えて下さいました。主に感謝します。最後にみ言葉を一個所お読みして終わります。
 彼に信頼するものは、決して失望させられることがない。 (ペテロ第一2:6) 
 ハレルヤ
 
(平野宏子、1998年4月26日伝道集会証し)

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