洗礼を受けるまでの道

 私が、教会を知ったのは中学生の頃でした。その頃の私は、いじめにあい、友達はいませんでした。そして、母にも、体の事で私ばかりと攻めたりした事もありました。
 「絵美は、これでも、生きていけると思ったからそうしたんだよ」と私は、その時、母を信じて、神様が私に語ったように思いました。
 そして、神様は、私に、教会を案内してくれました。
 それは、子供伝道でした。
 そこで、初めて、神様は、イエス・キリストなんだと知る事が出来たのです。そこで知ったのは、神様は、いつもいっしょにいてくれていた事だったのです。
 そして、聖書の箇所で心の清い人は、幸いである。その人は、神を見るというのがありますが、私は、自分も神様を見る事が出来ればなあと思ったのです。なにより、嬉しかったのは、神様のそんざいを両親がしてくれたことです。
 洗礼までの道を、いうとすれば、それは、イエス・キリストの案内があったからだと思います。

(東福山ルーテル教会の衣笠絵美の証し、2002年11月3日)

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