主に委ねて

 はじめに今日この場に置きまして私が長い間、躓いたり転んだりして、又這い上がってきた私の恥ずべき信仰の証をさせていただくことを感謝致します。すべてを神様にお委ねして話したいと思います。

 先ず洗礼を受けたいと思ったきっかけは、今から20年前に逆上りますが私の『父の死』でした。この事は私が洗礼を受けた時に証しましたので簡単に申しますと尊敬していた私の父が84歳になって脳溢血で倒れ死を迎えた時に「死の準備」を何もしていなかった父は「死と戦う」のでもなくとても慌てて取り乱し、それを見て私は強いショックを受けました。「人間は死から逃れる事は出来ないけれど、いかに死を迎えるか」は自分で選ぶ事が出来るのではないだろうか、静かに死を受け入れる心の準備をしておかないといけないなとその時に思ったのです。

 私も41歳の時に病気で手術をしていますので死への恐怖と不安が有りますが、死後の世界、つまり永遠の命を信じる事でその恐怖や不安を乗り越えられるのではと思いました。未来に希望を持って静かな死を迎えたい、出来れば周りの方達に感謝をし、勿論、神様に感謝をしながら死ねたら良いなと思っていました。「死ぬ」とはどういう事かを学ぼうと思って聖書を読み出したら、生きるとはどういう事かを学んだような気がします。

 偶々、私の家の隣にノールウェーの宣教師の方達が入れ替わり立ち代り引越しして来られました。ホアス先生、ハルス先生、ヨッサン先生、ハウゲン先生と幸運にもお隣が牧師館になったのです、そして良いお交わりが始まりました。

 やがて聖書研究が始まり、「罪の意識」をはじめ、私の思っていた価値観がみごとに逆転しました。聖書の中の例え話は(シンプルなストーリーで)素晴らしいですね、解りやすくて引き込まれていきました。放蕩息子の例え話では父親が神様に当たるのではとか、ぶどう園の農場主、この方がきっと神様では、そして自分がどの人に当たるのか探したりして、いつ読んでも新しい発見が有り感動が有ります、人間というか自分の醜さが段々と解ってきました。

 聖書を学んでいくうちに思ったことは、人間、健康な時は何でも出来る、散歩すれば散歩の楽しさが味わえる、自転車に乗れば自転車の楽しさが有り、動物を飼えば人間とは違った生き物とのふれあいが味わえる、色々な経験や出会いで自分の視野が広がって心が豊かになります。でもそれは自分が健康だからですよね。自分が健康でない時にでも心を豊かにしてくださるのは聖書の世界しかないと私は思います。それは自分が病気になってはじめて解った事です。

 そして洗礼を受け『我が恵み汝に足れリ』(第二コリント12章9節)と有りますが充分に平安が与えられました。

 やがて直ぐ3年が経ち今より人数の少ない小さな教会でしたので、直ぐ役員になってしまいました、信仰が弱い役員程つらいものはないですね。家庭との両立が出来ず、いつも戦いが有りました、日曜礼拝を守るのが大変でした、おまけに学校の役員や、子供会の役員、地区の婦人会の役員も有り、神様の事を一番に出来たらどんなに教会生活が楽だろうと思いました。来年は執事にならないで済むだろうと思っていると、『執事の人数は教会の実態とその実情に応じて決定する』という規則があり、執事の人数が多い方がいいと増やされてしまって、又なってしまった。聖書で学んだ事を実践する場が奉仕ですから、奉仕が重荷になったという事は自分の人生の指導権を神様に任せていないので、神様と私の関係が正しくなく、だから信仰的に一つも成長していなかったわけです。

 今思えば、喜んで奉仕をしていなかったのです、事務的でしたから、ある時「傷をつけたり」「傷をつけられたり」のバザーの反省会になってしまたのです。「傷をつけたほう」が「つけられたほう」より辛いものが有ります、それは一番頼りになる神様の慰めが頂けないからです。自分が正しいと思っているうちは神様から和解をいただけないのです。気付いている罪はまだしも気付かない罪に悩む時が有り、黙っていてしゃべらないのが一番いいと思ったりしました。

 人間関係の難しさとなるのでしょうか、私の意見が、ある非常に信仰的にも霊的にも強く熱心なクリスチャンの心を傷つけてしまったのです、まさかの自分が中心になってしまったことも有って、私は役員どころか教会にふさわしくないのではと強く思うようになりました。これがサタンの働きでしょうか、そう思いたくない自分がおりましたが、今思えば神様にお委ねすればよかったのですが、委ねるという事の難しさというか、正しく理解していなかったのだと思います。

 マタイの福音書13章24節〜30節の、いい麦と毒麦のお話がありますが自分が教会の中では毒麦に当たるのではと思いました。悪い事は重なるものですね、そんな時に四国で別居している主人の父が大腸がんで、あと半年しか持たないと、お医者様から宣告されましたので四国の方へ行ったり来たりの看病の生活が続き、教会との両立が出来なくなってしまいました。

 主人の両親には私達夫婦が病気で入院した時に四国からやって来て子供たちの世話からお弁当作りまで、何から何まで良くして頂いたので、このときに恩返しをしようと思い介護に専念しました。これが切っ掛けで教会に行かなくなりました。それでも「空しい時」があったら聖書を開いて充実した日になるようにしていました。聖書は神様が語っておられる言葉ですから何度もチャレンジしてみると、初めは解らなくてもやがて解ってくるから不思議です。この頃も聖書に大分支えていただきました。

 あと半年といわれた主人の父も2ヶ月程、言われたよりも長く生きて亡くなり、8ヶ月間は私なりにですが一所懸命に介護をしました。周りの親戚から『よくやるね、いいお嫁さんだ事』等と称賛もあり、乗せられたかの様に頑張通して何とかやりこなしました。お葬式が終わりホッとする暇もなく今度は主人の母の持病が悪化して歩けなくなり、又介護が始まりました、介護が上手に出来たら一人前ですね。

 ずっと母に接して来て思ってのですが、老いと言うのは一番人生で大変な時期ではないでしょうか。私達が身につけていた色々の価値をお返ししていく事ですから、それまで自分のものだと思っていた健康、記憶力、脚力もすべてお返ししていく事ですから辛いことだと思います。
 別居していた私共、嫁姑は同居してもなかなか上手く行きませんでした。お互いに我儘で自分の家がお城なのですね、気楽が一番、と母は体の調子がいいと又別居が始まり、私がまた四国に通う事になりました。

 人を大切にするということは、その人の欠点や弱さを赦す事だと思っていましたので、お互いに赦しあって切り抜けようと思っていました、母には残された時間が少ないのですから。

 今年で7年になるのですが去年頃から私にこの生活に限界が来て「呟き」が始まったのです、「こんな生活もう否だ」「あー否だ」と始めは心の中で思っていたのが、意識なく口に出てしまう様になったのです、声になって気がつくのです、料理していても、寝ていても、何度も出るようになってしまいました。何と罪深いことを言ってしまったのだろうと思いました、母に聞かれてしまったのです。

 自分だって寝たきりになるかも知れないのに私にはなんて愛がないのでしょう。介護は神様の十字架の苦しみからしたら大した苦労ではないのに、職業で介護の仕事をされている方も多いのに、こういう自分がとても否で『この醜い心をどうか取り除いてください』と神様に祈るようになりました。教会を離れてもまだ祈ろうとする心が与えられている事にはとても感謝でした。愛とは、礼拝に出て神様から頂き、頂いた愛を隣人に与える事が出来るのものなのですね。

 今頃になって、礼拝式の大切さ聖餐式の大切さがやっと解ったのです。私にはもう愛のストックがなかったという事です。我儘な私は自分流で頑張っても、いい介護は何年も続かないのです。私の今までの介護の仕方は「我慢して介護をしてあげている」という感じで、忍耐して介護すると「介護させて頂いている」となるのでしょう。「最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです」(マタイ25章40節)に有ります様に神様にしたことになるわけですから凄い違いが有ります。

 ある本に『我慢しているといつか爆発する忍耐は爆発しない』と有りました。我慢と忍耐を広辞苑で調べてみましたが解った様な解ら無い様な大した違いが無い様な感じでしたが、東部図書館にある聖書辞典を引いたら、『忍耐は信仰から来る、イエス・キリストが再臨するまでは忍耐の時代』と書いて有りました。

 そうだ教会へいって礼拝を守り私の醜い病んでいる心を癒していただこう、そして教会で忍耐を学ぼう、身に付けよう、神様から愛を頂いて介護に当たろう、と思い教会復帰となりました。

 自分がずっと毒麦だと思っていたので、委ねるということはどういうことか今回復帰に際して神様が私にそっと優しく教えて下さいました。《いい麦か毒麦かという事は、人間が判断できるものではない》そう言うことは神様しかお判りにならない事であって、神さまにお委ねして置けばいいのですね。

 ここに至るまで、こんなにも罪深い不信仰なものの為にも、神様が多くの兄弟姉妹や先生方に働きかけてくださりお声を掛けてくださいました。又教会のホーム・ページをみたら、懐かしいお名前が目にとまり神様の御用の為に一所懸命に働かれている忍耐の備わった方達にお会いしたいという思いが強くなりました。教会にふさわしくないと思った者が7年振りにふさわしい者にさせて頂こうと戻ってきましたら、皆さんが素晴らしく信仰的に成長されているのに驚きました。そして懐かしい聖歌がうたわれていました。《キリストには代えられません、世の宝も又富みも、このお方が私に代わって、死んだ故です。世の楽しみよ去れ、世の誉れよ行け…》賛美で心が洗われたような素直にアーメンという気持ちになりました。

 この5月に主人の母は持病の上に胃がんになり手術をしました。癌と聴いて母の実の娘達が介護に加わってくださり当番制になり、私は大変楽になりました。これは神様から(第一コリント10章13節)にあるように「脱出の道」が与えられたのでしょうか?

 母を見ていて思いました。人間生きて行くという事は楽しい事ばかりでは有りませんね。苦しい事が多いい、苦しくても喜んで生きる方法は聖書の世界にしかないのではないだろうか、教会に繋がっている事で孤独にもならないし、コミュニケーション不足も解消できる、何事かがおきても教会を支えているのは聖霊様だから委ねていけばいいのだと思いました。

 私はしばらく教会を離れて自分流で生きたわけですから、終わりに悔い改めの聖書の箇所を開きたいと思います。旧約の士師記10章6から16節までですが、長くなりますので、10節と15節をお読みしたいと思います。(「私たち」とあるのは「私」です)
★ その時イスラエル人は主に叫んでいった。
「私たちはあなたに罪を犯しました。私たちの神を捨ててバアルに仕えたのです。」
★ するとイスラエル人は主に言った。
「私たちは罪を犯しました。あなたがよいと思われることを何でも私たちにしてください。ただ、どうか、きょう、私たちを救い出してください。」

 介護に疲れた私に安らぎと慰めを与えて下さり、その上頑なな心を砕いて『委ねる』事を教えてくださった主に心から感謝致します。そして今の『健康なこの教会の姿』が何よりも私の支えです。どうぞ続けてこの弱い者の為にお祈りください。

(東福山ルーテル教会の宮崎喜代子さんの証し、2003年10月26日)

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